ル・マン [すごいひと]
愛犬ムックが車内でゲーをしてしまったので相談したら、「地道に洗うしかないね」ということで
座席シートを外すのを手伝ってくれました。
外している最中の会話から。
あい「そう言えば、昨日東海大学がル・マンの24時間自動車レースで
途中リタイヤしちゃいましたけどドキュメントをテレビでやってましたよ。」
※車のレースとしては、非常に過酷なことで有名です。
今までで日本では一度だけマツダのマシンが優勝をしました。
クニ「それは、学生にとってとても良い経験でしたね。
ちなみに、わたしもル・マンにチーフエンジニアとして参戦して完走しましたよ。」
ええっ!!
くに「14位だったかな?13位だったかな?いつだったかも忘れちゃったけど。」
充分です。
もう、充分にすごいです。
そして、見せてくれたのが、お店に中に飾ってあった上のミニカー。
これで参加したんですって。
車のマット下にまで浸透したムックのゲーを
片付けるのを手伝ってくれたオリジナル・ボックスのオーナーさんは
わたしが思っていた以上に凄い人でした。
ありがとう。
でも、ごめんなさい。
まだ生臭いので、またそのうち座席シート外してもらいに伺います。
今度は、運転席側も。。。
ブルボンについて.10 [建築]
ご注意:この記事は書きかけです。取りあえず途中ですがアップさせて頂きました。
映画 「仮面の男 」見ました。面白かった!
秘密、策略、アクション、そしてどんでん返し、またどんでん返し!
時代背景など判るときっともっと面白いのではないでしょうか!!
あ、いえ、ロケで使われたという噂の建物が見たかったんですよ。ほんと。ほんと。
ウェブ・マスター Romiさんの記事より
ヴォー・ル・ヴィコント
http://members3.jcom.home.ne.jp/richelieu/vaux.html
建物とは、建築主の影響を強く受ける存在である と 強く感じました。
さてさて、ヴェルサイユ宮殿建築歴史のおさらいです。
1623 ルイ13世(1601-1643)は、家臣の進言により狩りの時に遅くなっても宿泊できる自分の館を作るため「ろうそく入札」をする。
設計者ジョアン・ド・フルシの設計で、ろうそくが燃え尽きるまでに一番安い金額を提示したニコラ・ユオ:工事請負業者を選定。
1623 着工 屋根:スレート葺き 外壁:漆喰仕上げ 構造:粗石造り
何とも安い材料をつかったものだと 思います。
1623 完了(早いよ!!!)
数ヶ月で入居できるように作ってしまいました。 日本の建て売り業者もびっくりです。
1624 ルイ13世宿泊 近隣の土地を買収に着手
1629 ポーム場(屋内スポーツ施設)増築
1631 ルイ13世 切石と煉瓦で建て直しを思いつく
建築家 フィリベール・ル・ロワを任命する。(工期4年の改築工事)
1634 完成 (早いよ!!!)
建物を使用しながらの作り替えです。
1643 ルイ13世お亡くなり
ルイ13世は、気さくで、気まぐれ、せっかちで、けちなところもある人だったようです。42年。人生もせっかちに走るように生きたように思います。
1651 ルイ14世(1638-1715)ヴェルサイユ訪問
1660 ルイ14世ヴェルサイユを家族水入らずで過ごせる別荘にしようと 思いつく まもなく調理室など増改修工事着手
1661 ニコラ・フーケ(1615-1680)所有ヴォー=ル=ヴィコント城完成 同8月パーティー開催ルイ14世その他大勢招かれる。
1663 建物完成
1665 廷臣達を招き ヴェルサイユお披露目のため祭典を開くが「野暮な別荘」とか言われてまたもや改修工事を決意
改修工事には、シャルル・ペローを参画させる(この人は有名です。検索してね)
1666 ルイ14世はモンテスパン侯爵夫人と出会い、寵姫にする
丁度この年、ロンドンは大火災に見舞われます。9月1日のことだそうです。
1668 ルイ14世ヴェルサイユ拡張計画 旧館を取り囲んで新館を造営するのはどうかと以下の人に持ちかける
王室建築家 ルイ・ル・ヴォー(1612-1670)と建築長官 コルベール(1619-1683)からブーイングうける。が。押し通す
ル・ヴォー は、自分の美的感覚から外れてるその建物の所有者に対してその後、あの手この手を使って旧館の取り壊しを具申したにもかかわらず、ルイ14世は頑固として聞き入れなかったようです。
1669 ルイ14世サンジェルマン・アン・レー城より本格的に引っ越し
(サンジェルマン・アン・レー城の拡張工事をしたのがジュール・アルドゥアン・マンサール(1646-1708)。その後モンテスパン侯爵夫人の城を設計する)
1670 ヴェルサイユ宮殿と別荘:磁器のトリアノン(大トリアノンの前進)完成 ル・ヴォーお亡くなり
ル・ヴォー58歳。 若いですよね。どのようにして亡くなられたのか、ネットでは記述が見あたりません。なんか、あやしい。
1675 ジュール・アルドゥアン・マンサールがヴェルサイユ宮殿の造営に携わる
庭園に面したファサード、大臣の翼、南北の翼、鏡の間、王室礼拝堂、大小の厩舎、新オレンジ温室(マンサード屋根ってマンサールが考案したんだって。ほんとかね?)
1681 ジュール・アルドゥアン・マンサール王の主席建築家になる
1684 大ギャラリー(鏡の間)増築完成
ここで、ルイ14世は宮殿に関しては、満足したらしいです。 その後、簡素な中庭側の御座所で過ごすようになります。46歳。
1687 大トリアノン改築工事(磁器のトリアノンは、タイルが剥がれてうまくなかった)
1699 ジュール・アルドゥアン・マンサール王家の建物総監に任命される
マンサール 出世街道まっしぐらです。
1708 マンサールお亡くなり
62歳 後期バロック建築の第一人者の一人 と、後世に伝えられています。
1715 ルイ14世お亡くなり
77歳。この当時にしてみれば、長生きした方ではないかと思います。
ルイ15世(1710-1774)
アンジュ・ジャック・ガブリエル(1698-1782)
ルイ16世(1754-1793)
フランス革命
ナポレオン1世(1769-1821)
ルイ18世(1755-1824)